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​ご挨拶

1997年頃、早起きをして始発電車の中で本を読むことを楽しみにしていましたが、やがてそれは、メルマガで発信する喜びに変わりました。

そして、10年後の2007年には著者として本を出す楽しみを味わう事ができました。

いずれも、ネットで知り合うことができた素敵な友人や応援団がいたからこその出来事でした。

そして、さらに10年ほど経った今、今度は、誰かをブーストアップするための出版社を始めてみました。

米粒ほどの小さな出版社ですので、対象を絞りました。

 

  ①お子さんと一緒に絵本などの作品を残したいご両親

  ②自分史など生きた証を残したいシニアの方

  ③ビジネスで得られた知見を本にしたいビジネスマンの方

 

を対象に、商業出版にすることも可能なステージにお連れしたいと思っています。

ISBN番号が発行できるので、アマゾンや一般書店でも売る事が可能です。

企画・編集・デザイン・製本などのプロセスを出版希望の方と一緒に行う事業です。

手始めに、15年ほど前に子どもと一緒に作った絵本を第一号で出版することにしました。♪

まだ、ほとんどゼロに近い状態でのスタートです。勇気をもってはじめの一歩を踏み出してみること・・・いくつになっても大切だと思います。いつのころからでしょうか、私が考える前に飛んでしまう飛行少年(非行少年?)になったのは。(正確には飛行爺&妄想爺ですが・・) 

とにかく、走り出してしまったので、これからいろいろ考えて行きます。

Webook Publishing のチャレンジが、人生を面白く生き抜くサンプルのようになれたらいいなと思っています。

新しい試みに、どうぞ暖かいご支援や応援を賜われば幸いです。

                                    ウエブックパブリッシング 代表

                                   ビジネスをアートにする研究所 代表

                                                                            松山真之助事務所 代表

                                   松山真之助  2016年12月吉日

Webook of the Day  編集長の松山真之助です。1997年のメルマガ創刊から20年近く経ち、かねてからあたためておりました出版事業をスタートすることになりました。振り返えれば、様々なことが星座のようにつながっているようです。

■これまで 

  My History

みなさんは、本を書きたいと思った事はないでしょうか。

実は私は小学校3年生のときに、夏休みの宿題で、一冊の本(実は小さな手帳に物語を書いただけ)を作ったことがありました。おそらく、それが私の最初の作品でした。地元の山奥にある大きな洞窟と当時覚えた板垣退助という名前をヒントに、空想物語を書いたのでした。

 

それから、40年ほど経って、ほんとうに本を出す事になりました。

それもまた空想の物語で、子どもと共著の絵本でした。「ねずみとサンタクロース」という絵本です。

当時からおつきあいさせていただいていた英治出版の原田さんにお願いして、拙い原稿を絵本にしていただきました。いわゆる自費出版ですが、メルマガなどで告知して、完売に近い売れ行きでした。本代のほかにお菓子やおもちゃなどもいただいたのが素敵な思い出です。

ロサンゼルス駐在のとき、本の会で知り合った方がその絵本をお持ちだったのは、偶然とはいえとても驚きの出来事でした。

 

こう書いてくるとさぞや読書好きの少年だった・・・と思われるかもしれませんが、実は正反対。小中高大と読書にはほとんど縁のない生活でした。絵本は家にほとんどなく、ファーブル昆虫記も野口英世の伝記もいっさいありません。大学時代に唯一読んだのが、渡辺淳一の「光と陰」、五味川純平の「人間の条件」くらいでした。一体僕は、何をしていたのだろう・・・と思うほど、本に縁遠い暮らしでした。

 

会社に入って、長距離通勤をするようになり、はじめて読書の楽しみ方を覚えました。ほとんどむさぼるように毎日本を読みあさりました。ビジネス書、小説、絵本、なんでも・・・・。そして、多くの著者と邂逅し、たくさんの学びの機会をえることができました。(このあたりは、「早朝起業」などに詳しくかかれています)

本での出会いだけでなく、直接著者の方にお会いできる機会も増え、やがて、Webook でご紹介させていただいた本の著者の方にご登壇いただくジェイカレッジというセミナー活動が始まりました。2007年のことです。第1回めは、さおだけやでブレークされた山田真哉さんでした。

それから、USEN(有線放送)でのラジオ番組を持たせていただくチャンスもいただきました。

 

本に学び、本で出会い、本で成長させていただいた私。 
ここまでが「これまで」の段です。

■これから

Our Future

 

ここからは、「これから」のことをお話します。

 

やがて、本を生み出すお手伝いがしたくなりました。

 

それは、ある出会いがきっかけでした。古い友人と20年ぶりくらいに再会。その方は、世の中の「もったいない」をうまくつなげて、楽しい社会を作ろうという社会起業家の方で、”少し手を借りたいシニアと少し時間があるママを結んで、ソーシャルイノベーションを起こしたい”という思いをお持ちでした。 深い共感から勝手に応援団を申し出て、応援さえていただくことになりました。

その事業の中で、シニアの方の自分史制作のお手伝いもできるかな・・・と思いつきました。

すでに、たくさんの出版事業や出版企画事業が存在していますが、なにかしら異なるサービスが提供できそうな予感がしたのです。

 

それから、もうひとつ、私が世の中に最初に本として送り出した絵本、正確には子どもとお父さんが送り出した絵本ですが、それをもう一度世に送り出してみたいという思いが湧いてきました。そして、一度きりのある瞬間に子どもと親の合作作品が残せたら、とても幸せなことではないか・・、こんな思いを他の方にも味わっていただえたら・・と思うようになりました。

 

この思いは、実は5年ほど前の出会いも大きな伏線となっていました。あるとき「100円のコーヒーを1000円で売る方法」などのベストセラーを次々と生み出している永井さんに、ISBNの発行者になる方法があることをを教えていただいたのです。物好きな僕は、さっそくその方法を試し、ISBNを発行できる資格を得たのでした。

 

こうした出来事が星座のようにつながって、「そうだ、出版社をやろう!」ということになったのです。

 

編集は? 製本は? 販売は? わからないことだらけですが、なんとかなるさモードで、とにかく先へ一歩踏み出してみました。笑

つづきは、ライブで・・・。

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